悪魔の料理番 ~逆説パラドックス~ 禁断の魔女レシピ

あなたの常識を覆す、暗黒エネルギーの新常識! 悪魔の料理番として命をささげた料理人はりぃが、 世の中に出回るありきたりな教えや道徳的な成功法則を破り、真のダークサイドへと導きます。 しかしその道の先は、地獄ではなく天国であった、、、

苦しみから解放されるたった一つの方法

前回から悪魔の言葉

「世界を平和にしてはいけない。それだけ悪も必要になる。」

が頭から離れなくなってきていたが、

 

『悪』というのは、どちらかというと非日常的だ。

これを読んでいる人は、強盗や人殺しが日常的にある状況ではないと思う。

 

ただ、私達にはもっと身近に『苦しいという感情がある。

 

悪いことをする人や悪人は実際見かけないが、苦しんでいる人は、周りにはたくさんいる。もちろん今すでに悩み苦しんでいる自分もその一人だ。

 

そして、なぜ苦しんでいるのかというと、それも“正しい”“常識”があるからだ。

 

「、、、なんだか最近思考が悪魔よりになってきているような、、、」

という危機感を少し感じつつも、もう逃げられない悪魔の力で抑えられている気もする。すでにこの苦しみの原因を知らずにはいられない自分がいるのである。

 

そこにタイミングよく悪魔が現れた。

 

「わっはっは、言いたいことはわかる。苦しみからのがれたいんだろ?」

簡単な方法があるぞ、教えて欲しいか?

 

 

「はい、ぜひともよろしくお願いいたします。マスター」

と、スターウォーズ2章でアナキンスカイウォーカーがダークサイドに落ちる時みたいなセリフを言ってしまったが、もう心境はだいぶアナキンに近い気がする、、、

 

と思いながらも、悪魔の言葉を聞かずにはいられないのであった。

 

 

悪魔「正しい教えがあるから、苦しみが生まれるんだよ」

 

私「、、、?」

 

まだいまいちつかめていない私に、親切な悪魔は解説してくれました。

 

「例えばな、家の貯金箱からお金をだしたり、駄菓子屋のお菓子を盗んだことはあるか?または、友達の鉛筆とか消しゴムとか勝手に盗ったことがあるか?」

 

私「はい、全部あります。」

私は正直に答えました。

 

悪魔、「まあまあの子悪党だなおまえも、見所あるぞ?それはいいとして、そのとき、お前の心境はどうだった?」

 

私「なんともいえない、罪悪感でいっぱいでした」

 

悪魔「そうだろうな、なぜかっていうとな、お前は小さい頃になんて教えてもらった?

“人のものを摂るのは悪いことだ”と教わっただろ?

盗むという罪悪感に苦しむのは、“盗むのは悪いことだ”と誰かがお前に教え込んだからだろ?苦しみが生まれるのは正しい教えのせいなんだよ。

その証拠に、猫がさざえさんの魚を盗んでも、罪悪感なんてこれっぽちもないはずだ。

それはその猫に、盗むのはわるいと教えたやつがいないからだよ。」

 

私「なるほど」

 

悪魔「親、教師、指導者など、つまり先に正しさを教えたばかりに、その正しさのせいで、おまえは苦しむことになるんだよ。

そして他の誰かが“悪魔が人間を苦しんでいる”と教えてもらったかもしれないが逆だ。

おまえら全てを苦しめているのは、今正しいと思っている奴らが作りだした正しさのせいなんだ。」

 

私「でも、そんなことを言われても、もう出来上がってしまった私の中の“正しさ”はどうすればよいのでしょうか?」

 

悪魔「その罪悪感を消す方法がひとつある。それはな、、、

【疑えばいいだけ】だ。自分を責めるくらいなら、正しさを疑ってみろ。

すると、今まで正しいと思いこんでいたことが、実はそうでもないことに気付いてくるはずだ」

 

私「いや、でもそうはいっても人殺しとかはダメでしょ?」

 

悪魔「人殺しだって、戦争が真っただ中の国では、人を殺しまくった奴が英雄だ。逆に殺さずに呆然と立ち尽くして仲間を見殺しにする方が重罪だ。」

 

私「たしかにそうかもしれませんけど、、」

 

悪魔「人間はな、その時によって都合よく解釈を曲げて、自分たちのやることを“正しい”ことだと信じる傾向がある。人殺しは、大げさな例えかもしれないが、

他には、例えば車を買ったとする。見た目も格好いい車で、色々なオプションも付けて高い金を出して買ったやつがいるだろ?」

 

私「あ、たしかに、この前自慢気に見せびらかしてきたやつがいた!

そうなんだよ、その時言ってやったんだ、『車なんて走ればいいんだ、見た目が良くても燃費わるければただの金食い虫だって言ってやった。」

 

悪魔「そのときのそいつの反応はどうだった?」

 

私「超怒り出して、すぐ車を飛ばして帰っていったよ」

 

悪魔「でもお前も同じことあったよな?」

 

私「え、、、?」

 

悪魔「この前、まったく使えない調理器具を買って、いまだにほとんど使って無いだろ?でもそれにも関わらず、お前は買ったことに対してそれが正しいと思っている」

 

私「それはそうだよ、ちょうどセールで安かったし、その時に買わなかったら、いつ買うんだよって。あの選択は間違っていないよ」

 

悪魔「でも今はもっと安く手に入るぞ」

 

私「うそだ!そうだとしても、あの時に買ったから、操作もわかって料理の幅も広がったんだ。今だったら買おうと思ってなかったかもしれない」

 

悪魔「、、、ほら、おれの言ったとおりだろ?人間は自分のしたことを正当化しようとする。まさに今のお前がそうじゃないか」

 

私「いや、これは、、、」

 

悪魔「それだよ、人間は。みんな疑わないだろ?だから悩みも消えないんだよ」

 

私「、、、(言い返せない、、、)」

 

 

、、、

なぜ人は苦しみ続けるのだろうか?

 

それは今目の前にあるものを疑う事すらしないから、

世の中の常識、今まであなたが学んできた事、当たり前だと思って生きてきた出来事、

全てを否定してしまうようで怖いかもしれない。

 

しかし、もしすべてを疑うことができたなら、、、

 

その時こそ、あなたは全ての苦しみから解放されるのかもしれない。

 

 

悪を退治するには、世界を平和にしてはいけない。

なぜ世の中には悪人がいるのでしょうか?

人を傷つける人がいるのでしょうか?

 

あるとき、そんなことを考えていたら、悪魔が真逆のことを言いました。

 

「なんで正義をかざして善いことしようとする奴がいるんだろうな、どえらい迷惑だよね、ホント、、、」

 

例のごとくまた変なことを言っていたので、私はすかさず、

「あなたみたいな悪魔がいるから、そいつらを正すために倒すために、警察が取り締まったり、刑務所に入れたりしなければならないんだよ。あんたたち悪のせいだからね!」

と強めに言うと、またもや悪魔はワッハッハと笑いながら、

「面白いこと言うなおまえは、そうだよ、そういう世の中を正そうと思った“間違った考え”のやつらがいるから、俺らがしょうがなく“わざわざ”悪いことをしてあげているんだよな」

と言います。

 

「いやいや、、」

とまた同じことを言いそうになって、

「そんなやり取りしていても水掛け論ですよ、話は終わんないですよ」

と言うと、悪魔は、

「そうだな、さすがに俺も“水”は好きじゃない、聖水とかたまにかけられるからな。

嫌いなんだよ、意味もなく悪魔だからって差別して聖水かけてくるやつ」

 

というおかしなことを言いだしたので

無視して魔女の料理作りにとりかかろうとしたときに、ふとあることに気付きました。

 

「たしかに悪魔の言うことも確かに一理あるのかもしれない。」

 

私は振り返って悪魔に尋ねました。

 

 

「ねえ、悪魔さん。ちょっとお聞きしたいのですが、

今まで、正義というのは、悪が存在するから正義の味方がいるのだとずっと思っていましたが、実は反対だったのですか?」

 

と、、、

すると、悪魔は

「良く気付いたな、実はことの発端はだな、世界が生まれ人間ができ、

集団で生活するようになった時の話だが、、、

 

ある村があって、そこには悪なんてものは存在しなかった。

差別もなく穏やかに暮らしていたんだよ。

しかし、ある時“正義”の名のもとに、自分の主張が正しいと唱える者が出てきた。

そして、その主張をあたかも当たり前の常識で正当かのように皆を洗脳し始めたのだ。」

 

私「それ洗脳って、、、なんかネガティブですよね、、、」

 

悪魔「そうだ、、、そのように正しいと主張している奴が“自分の都合の良い世界を作る為に”周りを洗脳し始めたんだ。

するとどうなる?そんな人を操ろうとするなんて反対だというやつも出てくるだろ?」

 

私「そうですね」

 

悪魔「しかし、もうすでに洗脳されている人はたくさんいるから、あとから反対を唱えたやつらはどうなったと思う?」

 

私「みんなに受け入れられなかった???」

 

悪魔「そのとおり、その反対派はそのときに“悪”という名前を付けられ、その村から追放されたのだ」

 

私「なんだか、それって変ですよね。そもそも自由に生きていた人を洗脳し始めた人の方が悪そうなのに、それを止めようとした人が追放されるなんて。」

 

悪魔「そうなんだよ。つまり、なぜ悪が生まれるのかというと、人が自分は正しいことをしていると信じたいために、自分の正統性を主張するために正義を振りかざすんだ。

そうすると、必然的にその意見に反対派が出てくる。

当たり前だよな、人間は十人十色なんだから、違って当たり前だ。

だけど、最初に主張したものや権力のあるものが結局は“正義”という名を振りかざすだけなんだよ。わかるか?」

 

私「たしかにそうですね。戦争だって、たぶんそれぞれ国の主張があったはずなのに、

負けた国は勝った国の言いなりにならないといけないですよね。しかも、負けた国は悪い国として世界に非難される。」

 

悪魔「だよな、だから人間はおろかなのがよくわかると思うが、つまりは、この世の中は、『勝ったもの』が正義なんだよ。

世の中は平等だと言うやつもいるが、もうすでにこの世にはそんなものはあり得ない」

 

私「そうなんですね、、、でもじゃあどうしようもないじゃないですか、、、」

 

私「でもな、正義があるから悪が生まれるということは、正義がなければ悪も生まれないということだ。つまり、みんなが自分は正しいと思うことが無ければ、正しいということなんてなくなる、常識もない。だから間違っているというのもないし、悪いもない、非常識というのもない。正も悪もない、まさにカオスだ。でもそれが本来の姿なんだよ。」

 

私「、、、でも、そんなカオスって、ちょっと怖いですよね。法律もないですよね」

 

私「だよな、おまえも含め、全員がそのように思うから、正義は無くならずに悪もなくならないんだよ。つまり悪とは正義の心が生み出しているものだ。」

 

私「そうか、そう考えると、なんだか悪がかわいそうにも思えてきたな、、、

ホントは何もない平和を望んでいただけなのに、悪にならざるを得なくなった。

なぜなら正義という“悪”が出てきたから。なんだか複雑な心境ですね。」

 

悪魔「そうやって世界は回っているんだよ。そして、今、正義と悪があることが常識となっている以上、変えることはそうそう無理だろう。人類が滅亡しない限りな。

 

ただ、自然界でもこれは当たり前のように起こっていることでもある。

弱肉強食と呼ばれるように、強いものが弱いものを食べ、これを循環させている。

しかし、人間と決定的に違うことは、『正義と悪という概念がないということだ。

動物も含め植物も、それを自然の摂理として受け入れている。だから、平等ともいえるのだよ。

しかし、人間社会は平等とは程遠い。へたに知恵がついてしまっているだけに、たちがわるい。正しいと思ってやっていることが、全てを破壊に導こうとしている。

こんな矛盾した、バカらしい世界にお前は生きているんだぞ、それを理解しているか?」

 

私「たしかにな、、、でも、私ひとりがどうこうしようが意味がないですよね」

 

悪魔「そうだよな、一人だとそう思うよな。だから世界は変えられないんだよ。特に今のお前は絶対無理。でもな、世界を変えるやつは自分一人だけの時から、うじうじして『ぼく一人が、、、』なんて言っていないんだよ、一人でもどうにかなると言って立ち上がった奴が、世界を変えていくんだよな。

、、、といってもあんまりかわらないけどな。本質的には、、、」

 

という絶望的な言葉を残して去っていった悪魔だが、

その後ろ姿は、なぜか少し寂しそうに見えた。

 

ふと、、、

「でも、なぜあいつは悪魔なんだろう?」という考えが頭の中をよぎる、、、

 

もしかして、世の中を真剣に平等にしたいと立ち上がった

勇気ある一人が、あの“悪魔”だったのかもしれない、、、

 

そして、巨大な“正義の組織に”負けて、悪魔になってしまったのではないか、、、

 

「世界を平和にしてはいけない。それだけ悪も必要になる。」

そんな悪魔の言葉を思い出し、

 

だったらもしあの悪魔が“正義に勝っていたら”目の前のあいつは“神様”になっていたのか?

 

そんな不思議なことを考えると夜も眠れなくなってしまうのでした。

【人を動かす】ヤクザに道を譲らせるには?

私「今日はまた無理難題を押し付けますね」
 
悪魔「おれは無理なことを要求したことは一度もない」
 
そんな会話から始まったのは、
 
タイトルにもある“ヤクザに道を譲らせる方法”である。
 
 
悪魔「まあ、俺の場合はどんな奴でも避けて通るけどな、わっはっは」
 
私「当たり前でしょ、悪魔なんだから。避けなかったら命落として地獄行きだからね」
 
悪魔「いやいや、もしおれが生身の弱い人間だとしても、前から来る物騒な強面の男でも自分を避けて通らせることができるぞ」
 
私「まじですか?何するんですか?もしかして包丁持って暴れるとか、クスリやってラリッてるとか、そんな正気じゃない方法とかで、自分をもっと怪しく危険に見せる方法とかじゃないんですか?」
 
悪魔「いやいや、そんなんしたら、その前に警察に捕まるだろ、周りの人に通報されるだろ。そんな自分を危険にさらさなくても、もっと簡単にできることがあるんだよ。まあ、それがわかっていれば、そもそもお前は人を自由に動かすことができて、すでに金も地位も全て手にいれているだろうけどな」

私「そうでしょうね、、、言い返せないですからね。わかりませんからね。
でもそんな魔法みたいな方法があれば、みんなしているだろうし、もう怖いものなんてないじゃないですか?」

悪魔「そうなんだよ、ただ気付いていないだけなんだ。でも、だれもが“相手を動かそう動かそう”とばかり考えているために、この方法はほとんどの人は思いつかないんだよな。だがそれを知っている奴は、すでに大きな成功を手に入れているだろう、、、」

私「めちゃくちゃ気になる、、、」
 

、、、

想像してみてください。
道路を歩いていて、
前方からガラの悪いヤクザの集団が歩いてきたらどうしますか?
 
、、、

道を譲ったり、思わず避ける人が多いと思います。
しかし、そんな恐ろしい相手でも彼らの方から動いて道を譲ってもらう方法があります。
 
 
なんだと思いますか?
 
 
拍子抜けするほど、めちゃくちゃシンプルです。
 
 

では答えを発表する前に、、、
 
一度、考えてみてください。
誰でも確実に実行できて高確率で再現できる方法です。
 
 

私「うーん、、、例えば、目が見えないとか足が不自由とか怪我しているふりして、前から来る人を避ける事ができないとか?」

悪魔「、、、ちょっと違うな、
ヒントはビジネスでも人間関係でもそうだが、人を動かすための行動の逆転の発想だ」

私「、、、そうなると、私の周りに魅力的な何かをぶら下げて、そちらに誘導するとか?
例えば、百万円の札束を横にポイっと投げたら、ヤクザは私を避けてお金の方に行くでしょ?」

悪魔「そうだな、それはビジネスやマーケティングではよくやられている手法だな。
エサをぶらさげて、そちらに誘導する、、、。
ただ、多くの会社はそのやり方に固執しているから、いつまで経っても“いたちごっこ”で潰し合いになって、お互いが疲れてしまうんだよ。もっとシンプルな方法が目の前にあるのに、やはりだれも気付かないんだよな。」
 
私「もう限界です。降参。わかりません」
 
悪魔「しょうがないな、まあお前にだけは教えてやろう」
 

という流れで教えてもらった禁断のレシピを、こっそりあなたにも教えます。
 
 
、、、
 
それでは、答えです。
 

確実に、ヤクザを動かし道を譲らせるシンプルな方法とは、、、
 
 
 
 
 
 
止まる
 
 
 
 
です。
 

自分が止まった状態になれば相手の方から勝手に動きます
拍子抜けかもしれませんが、これが『人が動く究極の原理』です。
 
少し解説します。
 
世の中で「人を動かす方法」というのが流行っていたりします。
営業とかセールス、コピーライティングも同じです。
 
「いかに人を動かすか」

という事にみんな必死です。
でも、人を動かすために自分から動きすぎる人が多いです。

でも、一度自分が止まってみると、
そもそも人なんて動かさなくても『勝手に動いてる』ことに気が付きます。

そうなんです。
元から動いてるものを動かそうとする必要なんてないんです。
ほっといても、自分勝手に人は動いてるんです。
 

ちょっと想像してみてください、、、

・Aさんは、北に時速5kmで歩いてる
・Bさんも隣で、北に時速5kmで歩いてる
 
という状況だったら、AさんからはBさんはどう見えますか?
 
動いてないように見えますよね。
 
Bさんからも同じように見えています。
 
同じ速度で、同じ方向に進んだらずっと2人とも動いていないことになるんです。
周りと同じように動いたら永遠に人は動いてない状態になります。
 
なんとなくこの感覚、伝わるでしょうか?
 
 
結局、何が言いたいのかというと、人が動いたかどうかは、
自分と周囲との速度のギャップ
だけなんです。

多くの人は、動くのが好きです。
動くのが生きる上での前提だったりします。

そこで、動きを止めると周囲と速度のギャップが生まれます。
動きを止めないと世の中が動いてる事実が見えません。
 
 今一度、ヤクザの例に戻りますが、
もしあなたが道端に生えてる木だったら、、、
確実にヤクザの方から動いて避けていきますよね?
 
まっすぐ木にぶつかって
「おまえ何で避けないんだ、コラァ!」
なんて怒り出す人がいたらかなりヤバイ人です。

結局、世の中には動きが速い方から先に動く原理があります。
 
例えば道路で、自転車と人が遭遇したら動きの速い自転車がよけます。
 
同じ方向に歩いていても、速度が速い方が、遅く歩いている人を避けて通り過ぎますよね。

つまり、、、
もし、相手から動いてほしいなら相手よりもスローになる必要があります。

ヤクザの怖さや威圧感も、実は『スローな動作』が根源だったりします。

威圧感のある人の特徴として『ゆっくり大きく動く事』があります。
悪魔だって、せわしなくバタバタ動いているイメージはありません。

マフィアのドンとかはどしっと座って動かずじっとしているイメージがあると思います。

速度を遅くするほど、周囲への影響力が生まれるんです。

つまり、人に動いてほしければ自分をスローにする必要があります。

それを限界まで極めると「動かない」となります。
動きを停止すれば周りが動き出すんです。

多くの人は、
「人を動かす方法が知りたい」
「どうしたら人は動くのか」
など、なんとか人を動かそうと自分が動き回ってしまいますが、
その意欲は悪いとは言いませんが、逆の発想をしてください。

仕事でもなんでも、
自分から色々動き回ったら、、、
相手は、自ら動く必要がなくなっていきますよね。

あなたもこの感覚が伝わると、また行動の仕方が変わってくると思います。
 
本当に周りのみんなが避けるので、街中で一度実験してみると面白いと思います。
 

無から有を創る 世にも奇妙な日本料理の世界

世界に認められる日本人の精神性こそが、最も崇高で悟りに近く、素晴らしいと唱える人がいる中、
実は真逆の、悟りの境地とは程遠い概念を含んでいるのが日本料理です。
 
そんな言い方すると、私は日本料理界の大御所に抹殺され、2ちゃんとかで炎上されそうですが、
私も悪魔の料理番としてのほこり(!?)を持って、この議題について語ろうと思います。
 
ただ、これからお話することは、「決して日本料理を非難しているのではない」ということはご理解ください。

★“有”が“正しい”日本料理

 
「物事を正しいか間違っているのかを決めたがるのが、人間の最も大きな欠点だ」と悪魔は言います。
 
さらに
「神様という言葉があるから、私のような悪魔もいるんだ」とよく愚痴っています。

それはさておき、
何事も区別・差別しない、調和の取れている状態(難しい言い方で中庸)が悟りの境地だと言う人もいますが、
こと日本料理に関しては、その中間を取らずに、
 
  • 吉か凶か
  • 山か川か
  • 天か地か
このような両極端の位置づけを料理に影響させることをめちゃくちゃ好みます。
 
おそらく、フランス・イタリア・中国料理などなど世界にさまざまなジャンルの料理がある中でも、群を抜いて、区別をしたがるのが日本料理です。

ここで一つ、私が昔驚いた事例を挙げましょう。

何を隠そう、今は悪魔の料理番をしていますが、もともと私は日本料理出身なのです。
 
修業当時、ある献立の中に、
『有りの実』
という言葉がありました。
 
懐石料理の献立の中でも、その『有りの実』はコースの最後に書かれていました。
私は「『ありのみ』ってなんだ?聞いたことのない食材だな」と思い、
当時の副料理長に尋ねました。

「あの~、メニューに『ありのみ』ってありますが、うちでこんな食材扱ってましたっけ?」
 
すると、
副料理長「『ありのみ』はおまえ、今の時期毎日触ってるやんか、これや!」
と言って、取り出したのがなんと、、、

『梨(なし)』

でした。

「???」
「え?これ梨ですよね?なんで“有りの実”なんですか?」
と聞くと、
 
副料理長「おまえ、“無し”って縁起わるいやろ、お金が無し、友達も無し、偉くも無し、など、無しって言葉は色々良くない連想をさせる代名詞だ。だから梨(なし)は何も無いの“無し”をお客さんに連想させるから、
梨(無し)という言葉は使わずに、その逆の“有り”という言葉を使って、梨自体を“実(み)”と“見立て”て『有りの実(ありのみ)』と言うんだよ」

「かなり強引なこじつけですね」
 
ごつん!!(げんこつで殴られた音)
副料理長「余計なことは考えるな、これが日本料理や!」

、、、
そんなやりとりを思い出しました。
 

この梨=有りの実事件は、かなりインパクトがあったのですが、日本料理にはその他にも真逆の意味を使うことが多々あるのです。
 
「日本料理=“二本”料理。2本だから日本料理か」というようなしょうもないダジャレも発明しつつ、
「あながちそんなのも間違ってはいないのかな」と思いながら仕事をしていたのを覚えています。
 

他の例を挙げると、
慶事と弔事(結婚式や顔合わせと葬式や法事)では、料理内容もさることながら、
懐紙(かいし)と呼ばれる、天ぷらの下に敷く時の紙の折り目方向も変わってきます。

料理はお祝い事なら紅白が基準で、見た目も華やかですが、
法事とかネガティブ系なら白黒が基準で、
言い方悪いですが、見た目質素で、あまりおいしく見えません。

でもそれは不味そうに見せているのではなく、お客さんの気分に合わせて、“わざと”そのように作っているのです。
 
葬式なのに、めっちゃ豪華で美味しそうな華やかな料理が出てきたら、日本人なら「え、、!?」と思いますよね。
 
まあ、悪魔にはその感覚は理解してもらえませんでしたが、気持ちが沈んでいるイベントという言い方も変ですが、
そういう時に、気持ちを盛り上げる華やかな料理を作っても逆効果なので、その場その場の気持ちに寄りそうような料理を提供するというのが日本料理の心得なのです。

そうなると、もちろん盛り付ける器も変わってきます。鶴とか亀とか間違いなく弔事は禁止です。
そんなもの出そうものなら、
「人が死んでいるのに、お前らは喜んでいるのか?こんちくしょー!!」とキレだします。そんなお客さんの心理を読み取らなければならないのが日本料理です。

また、さきほどは、有り無しの例を挙げましたが、
料理の作る工程でも、野菜の頭とおしり(茎がついていた方と先っぽの方)のことを
天と地と呼んだりしますし、
山水盛りと言って、山と水(川や海)を両方表現するお造り(お刺身)の盛り付け方法もあります。この場合は奥側を高く盛り付け、手前を低く盛り付けます。
 
また今出てきた、お刺身の『刺す』という言葉は、良い連想をしないので『作る』と呼びますし、他にもありとあらゆる場面で両極端の事例を一つの料理に盛り込むことがあります。

それを思うと、日本料理が“和”食と呼ばれるのもあながち納得できると感じます。
 
それもそのはず、二本(日本)の両極端の意味合いを持つものどうしを“和(一つに融合)”するという意味にも捉えられるからです。
 
でも考えれば考えるほど日本料理(和食)の精神性は奥が深いです。
 
 

恐怖体験「どちらが障害者?どちらが健常者?」

『あなたは障害者をバカにするだろうか?』

「もちろんバカにするよ、だって障害があるんだから、普通の人とは違うんだよ、障害者は私たちのサポート無しでは生きていけないんだよ。彼らができないことを私たちが頑張って補っているんだ」

なんて、面と向かってハッキリ言える人は、
そうとうKY(空気読めない)かマジで性格悪いかどちらかだと思います。
 
 
しかし、
 
「バカになんてしません。障害者であっても一人の人間です。障害者だからといって差別するのは良くないし、同じ目線で、同じように生きる権利があります!」
 
などと、いかにも善人の言いそうな、偽善者っぽいことを言うのもなんだか気が引けます。
 
なぜなら、両者は、全く逆のことを言っているように聞こえて、
裏の意味で実は反対のことを思っているんじゃないか
人は勝手な探りを入れるからです。

「人間はなんて醜(みにく)いんだ」
悪魔は常々、そんなセリフを言います。

さらに悪魔は言います。
 
「そもそも、何で同じ生き物なのに、“障害者”とか“馬鹿”とか“天才”とか“才能がある”とか区別するのかが不思議だ。人間以外を見てみろ。
犬でも猫でもハトでも虫でも、同じ生き物として、
例えば片足がなかったり、歩き方が変だったりして、犬はそいつを差別して接すると思うか?
ハトが『あいつは賢くて天才だから、一生ついていこうとか思うか?」
 
 
確かに悪魔の言う通りです。
 

なぜ人間だけ、差別し合ったり、違いを見せつけたりするのかと言うと、
理由の一つに“言葉”があります。

『障害者』という言葉があるから、障害者という概念が生まれる。
 
『健常者』『病人』『健康』という言葉があるから、その反対の言葉ができる。
 
『悪』と『正義』も同じ。
「私は正しい」と思うから、その逆の「間違っている」が生まれる。

『常識』が正しいと思われているから、『非常識』が良くないと思われる。
 

このように世の中はすべてが表裏一体なのです。
 

障害者の話に戻ると、
「まず人間が、『障害者』というカテゴリーを作ったことがそもそもの過ちだ」
と悪魔は言います。
 
「おかしな話だと思わないか?例えば、もし世の中の99%の人間が、おまえら人間の言う“障害者”だったとしたら、障害者ではないお前は、逆にその世界では“障害者”扱いされるだろう。なぜなら99%の人は障害があることが“当たり前”だと思って生きている世界なら、障害のないお前は“障害のないことが障害だ”と思われるからだ。
 

私「なんだか今日も、頭が混乱する話をしますね。でも、たしかに仰(おっしゃ)るとおりですね」
 
悪魔「今一度、今から言う質問をよーく考えてみろ、
『あなたは目の前の普通の人を障害者と思ったことはあるか?』
『あなたは自分のことを障害者と思ったことはあるか?』
全ての答えはこの質問にある。」
 

、、、
ちょっと想像してみてください。
 

例えば、この世の中でいう“障害者”が、あなたの会社で働いていたとします。
その“障害者”は、仕事は遅いし、物忘れはする、言葉もうまくしゃべれない
しかし、
会社には遅刻しないで必ず毎日来る。
誰よりも早く来て、遅く帰る。
挨拶だけはきちんとする。
 
そんな“障害者”がいたとしよう。

またそれとは逆で、その会社には“健常者”も当然いる。
その一人の健常者は、
仕事は早いし、物覚えも良い
言葉も問題なくしゃべれる
 
しかし、
会社には遅刻し、大した用事でもないのに
傷病手当や有給をうまく使って会社を休む
時間ギリギリに出勤し、周りが必至で働いている中、
仕事が残っていても誰よりも早く時間通りに帰る
挨拶もしない。
 

『この2人をあなたはどう思うだろうか?』

はたして、この場合どちらが障害者で、どちらが健常者なのだろうか?

ビジネスとしては、もしかしたら、後者の方が認められ、正しいことをしているのかもしれない。

しかし私には、この例で言うと
世の中で言うその一人(後者)の“健常者”の方が“障害者”としか思えない。
 
『あなたはこれを聞いて、どのように感じますか?』
 
悪魔に言わせると、「その区別すら愚かだ」と言います。

、、、
でも、
 
、、、
もしかしたら、
 
 
無意識に「障害者だ」と思って、
同じ人間とは違う人間のカテゴリーを作り出している
今の自分自身こそが正真正銘の“障害者”かもしれない。
 

そんなホラーのような結末をもって、今回の話は終わりにします。
 

『有る』ことは絶対に『無い』 ~あなたは何も持っていない~

「あなたは何を持っていますか?色々持っていますよね?」
 
洋服、靴、財布、車、カバン、お金、、、
 
などの目に見えるものから、
 
友達、家族、パートナー、友情、愛情など、、、
あなたはすでにたくさんの“有る(在る)”を持っています。
 
しかし、
「本当はそれらは存在しないあなたの勝手な妄想です。」
と言われたら、どうしますか?
 
「そんなことはない!」と怒って暴れだすでしょうか?
そんな怒って暴れだすほどではなくても、否定はする人は多いと思います。
 
だってそうですよね。
目の前にあなたの所有物、または友達などが在るのですから。
 
それは否定したくなるというより、
「あるじゃん、ほら目の前に」って言えますからね。
 
たしかにそう思っても、何も不思議ではないかもしれません。
 
しかし悪魔に言わせれば、「それは幻想だ」と言います。
 
どういうことか?
 
、、、
そもそもあなたは本来、何も持っていないです。
 
実物はありますよ。でもそれはあなたのものではありません。
 
友達を「私のもの!」っていう人はあまりいないと思いますが、
カップルや夫婦ではどうでしょう。
 
かなり所有物に近い存在に感じられませんか?
 
そして、それが失われたら、泣き崩れるほど悲しくなったり精神崩壊したりします。
 
悪魔はそれを見て「愚かだ」と一言だけ発します。
 
 
では、もう少し例を変えてみます。
 
あなたのお財布にお金が入っています。
それを誰かが勝手に盗んで使いました。
 
あなたは怒り出し、必死で犯人を見つけ出し、問い詰めたり法的に裁いたりするでしょう。
でも、そのお金はそもそもあなたのものだったのでしょうか?
 
「あたりまえやん、私が汗水たらして稼いだ金なんだから、私のものに決まっている」
 
そんな声も聞こえてきそうですが、本題はここからです。
 

もう一度言います。
 
“そもそもあなたは、最初から何も持っていない”のです。
 
自分には“ある”と思うから、無いと不安になり、“ある”を欲しがります。
 
 
では、あなたが生まれたとき、この世に生を授かった時はどうでしたか?

「生まれた時のことを考えてみろ、思い出してみろ」
と言っても無理でしょうが、
 
あなたはこのように生を受けたときに、何を持っていましたか?
 
唯一持っていたのは、その“身体”だと思います。
それ以外は何もありません
 

そう考えると、世の中のありとあらゆるものは、作られた幻想だということがわかります。
 

今、目の前にあるものも、10年前、100年前、1億年前には存在すらしなかったものです。
 
もっと前(数十億年前)にさかのぼると、人間さえいなかった、空気さえなかったのです。
 
そんな大昔のことをいちいち言うつもりはありませんが、
 
今“ある”と思い込んでいる、
お金も携帯もパソコンも、着ている服も
見渡す全てのものは、そもそも存在すらしなかったものです。

それを所有したがる人間は、「なんて身勝手なんだ」と悪魔は言います。
 
家や土地の権利書など最たるもので、
「誰のものでもない土地を、紙切れ一つで所有した“気”になっている。これはあきらかにただの勘違いだ」
と言います。
 

あなたは、今立っているその場所を“所有”していると感じますか?
 
逆に言うと、
あなたが立っているその真下の地面は、あなたを所有していると思っているでしょうか?

もう少し違う例を出します。
目の前に紙とペンがあります。
 
紙はペンに対して、
「俺のおかげで書くことができるんだから、ペンは俺のものだ」
と思うでしょうか?
 
ペンは紙に対して、
「私のおかげであなたが存在するのだから、紙は私の好きにしていいよね」
なんて思っているでしょうか?

そんなわけないですよね。
でも、人間は当たり前のように“それ”をしています。

男女が付き合っていると、当然のようにお互いを所有したがります。
時間身体でさえ
自分のものにしようとしています。

これは、冷静になって考えなくても、どう見てもおかしな“常識”です。
この人間の作り出した“常識”の方が、非常識だと、なぜだれも気付かないのか?
 
わかりますか?

なぜって、『それが世の中の“常識”だからと思い込んでいるからです。
 
あなたは現時点で何も“無い”のです。所有しているもの、有るものは何も“無い”です。

そのように考えてみてください。

すると、いちいちイライラすることも無くなります。
悩むことも怒ることもないです。

『悪魔がなぜいつもヘラヘラ笑っているのか?
 
その答えは、何も“無い”ことを知っていて、世の中にも誰にも何も求めていないからです。
 

誤解されないと人間関係は悪くなる!? ~コミュニケーションの極意~

先日、悪魔の料理を作っている時にちょっとした口げんかになりました。
今日はその一部始終をお伝えします。
 
*6月6日6時 悪魔キッチンにて*
 
私が料理を作っているときにふと出た言葉がある事件を引き起こします、、、
 
私「なんか仕事でもプライベートでもそうですけど、コミュニケーションとか人間関係て難しいですよね~? よく誤解とか生まれていざこざになったりするじゃないですか」
 
このセリフが発端でした。
 
 
悪魔「誤解されないように生きれば生きるほど、お前は不幸になり人間関係が崩壊するであろう」
 
私「え、、、なんで!?意味わかんないこと言わないでください。」
「そもそも逆じゃないんすか?誤解が人間関係を悪くするんじゃないですか?
お互いの誤解がなければ、物事も解決することがたくさんありますよ」
「それについては、自己啓発マニアの私の方が正しいと思います!」

私は珍しく悪魔に反論しました。

これまではなんだかんだ言いくるめられてきた感はあるけど、
今回ばかりは論理的に筋も通っているから、悪魔を説き伏せられるチャンスだ!
 
、、、と意気込んでいた私は、
数分後には「すいません、私が悪うございました」と謝っていました。
 
 
さて、悪魔は何を言ったのでしょうか?
 
常識で考えれば、誤解を生むということは、お互いの意思伝達がうまくいかず、
物事をそれぞれ違った解釈をしてしまい、人間関係がギスギスしてしまうように感じます。
「正しいと思いますよね?ふつう、、、」
 
でも悪魔は“ふつう”じゃないんです。
悪魔って時点でふつうじゃないですし、そもそも悪魔に常識は通用しません。

でも気になるのはなぜ悪魔が
「誤解されないように生きれば生きるほど、お前は不幸になり人間関係が崩壊するであろう」
なんて言葉を発したのかです。
 
ここからがその話の続きです。
 
 
悪魔「おまえはアホか? この世の中でどれだけコミュニケーション能力が高くても、
そもそも自分の事実や思いを正確に伝える事なんて不可能なんだよ」
 
私「いえ、そうは思いません、ちゃんと話し合えば相手に伝わります」
 
悪魔「だから人間はどうしようもない生き物なんだよな、おまえも俺の横にいながらまだそんなふざけた考えをもっているとは残念だよ、まあ期待なんてしてないけど、、」
 
私「期待なんかしなくていいですが、そこまで言うならちゃんと理由を言ってくださいよ」
 
私は半分けんか腰で悪魔に言いました。
もちろん悪魔に勝てる確率は0%です。
 
悪魔「じゃあ、おまえは相手の考えていること感じていることを理解できているのか?」
 
私「100%かはわかりませんが、理解しようとしていますし、特に大事な大切な人のことは8割9割理解しているつもりです。」
 
悪魔「いやいや、そもそもその考えが“おごり”だよ。」
「伝える方は思い込みのフィルターがかかり、聞く方は自分の都合(アンテナ)に合わせて受け取る。だから、常に誤解・誤差が生じるものだ」
 
私「う、、、言っていることはわかりますが、じゃあどうすればいいんですか?理解しようとしなければいいのですか?」
 
悪魔「俺が言っていることはそういうことじゃない。そもそも人間は誤解がないように誤解がないように、注意して恐る恐る会話をしている。しかし、誤解というものは100%起こり得る現象なのだから、それを受け入れろってことだ」
 
私「、、、うーん、、なんかよくわからん、、、」
 
悪魔「だったら、どうしたら伝わりやすくなるのか知りたいか?」
 
私「もちろんです、お願いします!」
 
悪魔「まあ俺は悪魔だけど鬼じゃないからな、そこまでいうなら教えてやろう」
 
私「(心の中で)悪魔の方が鬼より悪党じゃないんかい!というか悪魔の『魔に『鬼って漢字が入っている時点で鬼でもあるんじゃ、、、」
 
悪魔「ん?なんか言ったか?」
 
私「いえ!何も言っていません、思ってもいません!」
 
悪魔「、、、まあいい、ふざけた考えを持ったら、悪魔の料理番から担当外して地獄に落とすからな」
 
私「すいません!」
 
悪魔「よし、まずはだな、、、そもそもの話、誰かに伝える前、もしくは聞く前に大事なことがある。それが何が伝わるかの8割を決めるといってもよい」
 
私「(おそるおそる)それは、、、なんでしょうか?」
 
悪魔「それはお互いの関係性だ。それが8割
 
「さらに、残り2割は、伝える方はどんな想いを乗せるか聞く方はどう受け止めて活かすか。そのような意識で決まるんだよ。だから、誤解は当たり前のようにあるという前提で相手と接することだ。」
 
「誤解しないように、しないように生きていると余計こじれてしまう。そうではなく、その前に相手との関係性をもっと重視しろということだ。世の中の全ては誤解を避けようと行動した結果だ。
戦争することも、騙しあうのも、傷つけあうことも、誤解を生みだすことを避けようとした結果がこれだ。
目の前の出来事にしか見えていない。
もっとするべきことはたくさんあるはずなのに、自分の主張を通して誤解をなくそうとするから、対立するんだよ、わかるか?」

「もうひとつ言っておいてやる。
ポイントは、誤解・誤差がある大前提で
好き勝手に無視意識でしゃべるな。そして、聞いた情報を鵜呑みにするな」
 
 
私「、、、うんうん、、、なるほど、、、」
 
悪魔「つまり、何度も言うが関係性だ。悪い誤解ではなく、良い誤解をされるような人間関係を築いていくことだよ」

私「そうか、そういうことか。なんだかわかった気がします。今まで相手の様子を見て、上手く物事を収まらせようと躍起になっていましたが、そもそも誤解を無くそうとすること自体が意味のない行為だったんですね。」
「誤解、最高!!」
 
 
 
、、、
という流れで、今回も悪魔にまんまとしてやられたのです。
 
 
私「今日も素晴らしい人生の魔女レシピありがとうございました。『誤解=善いこと』なんですね。」
 
でも今日は悪魔にしてはずいぶん良い事言っていたようにも聞こえるが、気のせいかな、、、?
ちらっと横の悪魔を見ると、ゲームをしているようにデスノートに人間の名前を書いて遊んでいる姿があった。
 
私「やっぱり気のせいか、、、」
 
この日を境に、私は誤解を恐れずに行動に移せるようになった。
というより、良い誤解を生むための行動をするようになったという方が正しいかもしれない。
 
ただ、“正しい”なんて言葉を使うと、また悪魔に怒られそうなのでなるべく言葉遣いには気を付けようと思った日であったのである。
 
 
、、、
でも待てよ?
 
じゃあ悪魔と私の間は、果たして良い誤解の関係性でつながっているのだろうか?
それとも悪い誤解でつながっているのだろうか?
 
そんなことを思う私を後目(しりめ)に
ちらっと悪魔を見るが、私達との“誤解”を気にしている様子はみじんもなさそうだった。
 

【道徳を守るな】悪いことをやりたいのが人間の性(さが)

「あなたは道徳がありますか?」

 

、、、

ちょっとこの質問は答えづらいですかね。

 

では、質問を変えます。

「親や学校、先生の言うことを聞いて幸せになりましたか?」

 

これなら、結構みんな即答できるのではないでしょうか? 

 

「はい、親や学校、先生の言うことを素直に聞いて今超ハッピーです!」

なんて答える人は見たこと無いでしょう。

 

そうなんです。

道徳という言葉がありますが、そんな言葉があることこそがそもそも洗脳です。

 

「道徳」という宗教が存在するだけです。

 

道徳心があると、

 

  • 有名人が不倫する
  • 政治家が税金を払わない
  • アイドルがファンに手を出した
  • 金持ちが逮捕される
  • 一気に有名になった人が人生転落

 

こんなニュースを知った暁には、仲間集めて総パッシングを浴びせます。

 

なんでかって?

それは“自分がやりたいから”に他ならないからじゃないですか?

 

うらやましいから批判するんじゃないですか?

 

 

「いえ、私は道徳的に悪いことをしていると思うから批判しているだけです。」

 

と答える輩もいるかもしれませんが、

 

ではもう一度聞きます。

 

「その“道徳”を守って、幸せになった人はいますか?」

 

すると、ある人は世の中の偉人とか有名人を挙げるかもしれませんが、身近に接していないから本当にその人が道徳的かどうかはわかりません。

 

というより道徳というのは言い換えると、世の中の常識の押し付けです。

 

つまり常識に縛られている限り、成功はできないとも言えます。

 

 

では、道徳心を持たず、自分勝手に生きればいいのか?

 

、、、

悪魔から言わせれば、「その通り」です。

 

我慢しないで自分のやりたいこと、好きなことをして生きた方が、

後悔もなく満足した人生を生きられると悪魔は言います。

 

 

悪魔「どうせ人間は死ぬんだから、好きなことをやればいい。俺は今まで数えきれない人間の“死の直前”を見てきたが、そのほとんどは『もっと自分のやりたいことをやっておけばよかった』と言って死ぬからな。これほど愚かな生き物は他では見たことがない。虫でも動物でも自分の好きに生きているのに、一番賢いと言われる人間がそれすらもできないなんて、虫や動物以下だと思わないのかね」

 

そんな独り言を言う悪魔の横で料理番をしていた私は、

「、、、たしかにな、、、」

と思いながら無言で悪魔の料理を作っていました。

 

 

それでもやはり、

「好きなことと言っても、やっていいこととやってはいけないことがある!」

と主張する人も出てくるかもしれません。

 

たしかに、人を殺したり傷つけたりするのは私も反対です。

それは悪魔の仕事であって、悪魔に任せればいい。

 

でもそれ以外で、自分の好きなことをやりたいようにやるのであれば、

全て自己責任で行動すればいいと思うのです。

 

その時にした行動が“悪”であれば世に裁かれ、“正”であれば賞賛されるだけであり、好きなことをして誰も反応がない、または批判されるのであれば、自分の行動を見直し修正すればいいのです。

 

そして、そもそも何で好きなことを好きにやりたいのかと言うと、

あなた自身が『楽しいから』ほかなりません。さらに『周りに認められたい』という欲望もあるでしょう。

 

その比重が、『楽しいから』に重きを置くのであれば、批判されても突き進めばいいし、

『周りに認められたい』欲が強ければ、行動を見直せば良いだけです。

 

それもあなたの“好きなように自由に選択できます”

 

だから、世の中の常識に従って正しいと言われていることをやると後悔し、不満や愚痴ばかりを言う人生となり、

非常識と言われることを、自分の好きなことをやる人は、生き生きしています。

死ぬ場際も「まだ色々やりたいことはあったけど、それでも十分好きなことはできた人生だったな」と笑顔で地獄に行けるでしょう(笑)

 

まあ、天国にいくか地獄に行くかは悪魔の裁量しだいなのでわかりませんが、

さきほどの悪魔のセリフを聞く限り、

もしかしたら地獄に行くのは、好きなことをやれず不満を残して人生を過ごした人の方かもしれません。

 

今日は、そんなことを思いながら、魔女レシピを見て料理を作っていました。

 

せいぎのみかたはどこにいるの? ~あなたの都合のいいヒーロー~

SMAPの昔の曲のタイトルに似てるなと気付く人に期待するのはナンセンスだとも思いつつもタイトルに入れてしまった2回目の配信。

そんなどうでもいい話から、スタートするのも悪くはないでしょう。

 

では始めていきます。

 

 

★あなたは、正義のヒーローは好きですか?

 

「はい!子供のころから大好きです!!」

 

そんな声が聞こえてきそうですが、そんなあなたに質問します。

 

「そのあなたの正義のヒーローとやらは、今どこで何をしているのでしょうか?」

 

もしかしたら、こたつで寝転んで、鼻くそほじりながらミカンを食べて、お笑い番組を見ているかもしれません。

 

あなたは正義のヒーローに“いつ”助けてもらうことができるのでしょうか?

 

というより、

“正義のヒーローに助けてもらうようなシチュエーションは起るのか?”ということが問題かもしれません。

 

おそらく、かなり危険な状況に陥ったとして、本当に正義のヒーローが助けに来てくれる確率は1%もないでしょう。

 

それがマジな現実です。

 

 

そして、今この瞬間、あなたは気付いたと思います。

 

何を気付いたのかというと、

「あなたの正義のヒーローなんてこの世にいない」

という事実です。

 

え!?もしかして

白馬の王子様がもうすぐガラスの靴を持ってやってくる

なんて思ってましたか?

 

そんなバカな(苦笑)

 

あっても、イケメンのお兄さんが美容外科のチラシを持って笑顔でチラシを配っているのを受け取る、、、

 

それくらいの出会いしかないはずです。

 

 

ここでもう一つ新事実をお知らせします。

 

それは、あなた自身が正義のヒーローを信じていない

 

という事実です。

 

おそらく、「○○なことがあったらいいなぁ」と妄想を膨らませて、夢の中で見るくらいが限度でしょう。

 

、、、

 

さて、、、

 

さきほどから、私はあなたを蹴落として蹴落として蹴落としまくっているように思うかもしれませんが、それは紛れもない事実です。

 

反論はしません。

 

でも、なぜここまでひどいことを言うのか、その理由だけは答えさせてください。

 

 

その理由とは、、、

 

「悪魔が言っていたから」

 

ただそれだけです。

 

はい、人(悪魔)のせいにしています。自分は何も悪くありません。

悪いのは悪魔です。

 

 

そして、悪魔の言うことは正しいから、です。

なぜなら、私は悪魔の料理番(手下)だからです。

師匠(悪魔)の言うことは絶対です。

 

 

もう少し厳密にいうと、正義のヒーローは悪魔の敵だから、存在したら困るのです。

 

だから悪魔にとっては存在しないことにしたい

という理由もなきにしもあらずです。

 

 

 

話はもどりますが、

 

あなたにとっての正義の味方・ヒーローは誰ですか?

 

「はい、○○さんです!」

と答えなくていいです。

 

そもそもの話、正義の味方に頼っている時点で、あなたの成功はありえません。

 

例えば、運動会でかけっこをして、正義のヒーローがあなたを担いで、ダッシュで走り切り、一等賞を取ったとして、

はたしてそれは嬉しいでしょうか?

 

嬉しくないですよね?

 

それに、それ以上に周りの冷たい視線に耐えられないと思います。

 

「おまえ、正義のヒーローに助けてもらって、ずるして一等取ってやんの! このチキン!!」

 

なんて言われかねないです。

 

助けた正義のヒーローでさえ、悪者にされます。

 

 

悪魔の言葉】

 

悪魔から言わせると、正義のヒーローこそ、正義とは真逆のことをしていると言います。

 

「弱い人を助けて、自己重要感に浸っているただの劣等感の塊野郎だ!」

なんて言っています。

 

だから悪魔は正義のヒーローが嫌いなのです。

 

決して、「悪者を退治しにくるから」という理由ではないと主張します。

というより、

そのように考えると、正しいことをしているのは、

本当に正義のヒーローなのか?

 

悪いことをしているのは、本当に悪なのか?

とも思えてくるのではないでしょうか? 

 

そんな議論を考えつつ、今日は終わります。

 

今あなたは、なんとももやもやした気持ちでいるかもしれません。

 

「ブログなら一話で気持ち良く結論を出して完結しろよ」

とおもうかもしれませんが、

 

それは常識とはズレたブログです。

このブログは非常識という土台から始まっています。

 

だからこれでいいのだ。by バカボンのパパより

 

 

【序章】どんな願いでも叶うなら、あなたは何が欲しい?

もし、、、願いが叶うなら、あなたは何を望みますか?

 

「彼氏(彼女)が欲しい」

「お金が欲しい」

「地位・名誉・権力が欲しい」

「健康で長生きしたい」

、、、

 

あなたの望みは何でしょうか?

 

誰もが抱く願いを、みんな同じように抱えて、同じように叶えられないでいる、、、

 

しかし世の中には、そんな誰もが望んでやまない願望を叶えているごく一部の人間がいる。

「そんなすべてに満たされた人間になりたい」、、、あなたもそうは思いませんか?

 

 

大丈夫です。安心してください。

これから悪魔と命の契約を結べば、あなたは何でも望みが叶えられ、いつでもどこでも好きなことを好きなようにすることができるようになります。

 

、、、

 

ただし、条件があります。

 

それは、これから悪魔が言うことを100%信じて行動することです。

それさえできれば、あなたは世界中の富と名誉を独り占めできるようになります。

 

、、、

、、、、、

、、、、、、、

 

「そんな話を聞いて、誰が信じられるか!」

 

まだ駆け出しの若い見習い料理人だった私は、そんな悪魔の話を聞かず、

自分の思うがままに生きてきた。

 

しかし、何年経っても、いつまで経っても状況は変わらない。

むしろ悪くなるばかりだ、、、。

 

人間関係も壊れ、誰からも信用されず、信頼もされない。さらに家族にも見切られ離婚し、見た目もボロボロ、お金も無い。

誰が見ても生きる希望もない絶望状態で、地に足がつかない生活を毎日送っていた、、、

 

そんな時に再度悪魔が現れ、私に囁きかけました。

「おまえの命と引き換えに禁断のレシピを教えてやろう。これがあれば、世の中を思い通りにコントロールすることができるぞ」

 

「禁断のレシピ、、、?」

死んだ魚の目をして生きてきた、何も失うモノのない私は、悪魔の言われるがままに首を縦にふることしかできなかった。

 

それが、私の人生を変える最大の選択になるとは、この時は私にも誰にも、そして神様でも知る術は無かった。

ただ一人、悪魔を除いては、、、

 

 

【悪魔から授かった魔女のレシピ】

なぜ魔女は悪魔との契約を結んだのか?

そして何を手に入れたのか?

 

これから語ることは、

私がこれまでかたくなに守ってきた、自己というアイデンティティ、思い込んできた常識、これが当たり前だという価値観、、、

それらすべてが崩壊し、悪魔によって導かれた”非常識”という、誰もが共感できない出来事を成し遂げてきたストーリーを紹介していきます。

 

 

おそらく、あなたは私の話を聞いて、

「うんうん、なるほど」と微塵も感じる必要はないし、

「そうだね、わかるよ」と共感する必要もありません。

 

ただ、理解できないことを、理解できないまま読み進めていけばいいだけ。

 

 

なぜなら、あなたがすでに理解できることであれば、そもそもそんなものは聞く意味が無いから

もし真に理解できているのであれば、これからの話を読む必要もないし、もうすでにあなたはすべてを手に入れているはずだからです。

 

 

、、、最後に、タイトルについて軽く触れておきます。

 

今後話すことは、私が悪魔の傍にいて、何を聞き、人生におけるどんなレシピを授かったかについてお伝えしていきます。

それは中世ヨーロッパ、唯一悪魔と契約を交わしていた、魔女が秘密にしてきた禁断のレシピでもあります。

 

 

また、【逆説(パラドックス)という言葉は、難しく考えないでください。

表があれば裏がある。いちいちそんなことを気にしなくても良いです。

 

例えば、世の中に透明人間がいるとして、

もし透明人間が現れたらそれは透明人間が現れなくなった時である。

透明人間が見えてしまえば、それは透明人間ではない。

 

というような意味の分からなくなる、逆説なのかどうなのかわからないような理解できない話もたくさんするでしょう。

 

深く考える必要はありません。

それが始まりで、それが終わり。

 

あなたはこのブログを読むことで、そんな不思議な世界に足を踏み入れることになります。

そして気付いたら悪魔との契約書にサインをしているかもしれません。

 

 

それでは初回はここまで、

次回は、真っ向から【正義】をぶった切る話をしたいと思います。